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みんな死ぬまで若く

2016/08/16

kennburijji

オリンピックも陸上競技が始まりました。

男子100mでは、日本からケンブリッジ飛鳥選手が出場しますが、その選手の才能をいち早く見抜いたのが、当時東京江東区立深川3中体育教師、大塚英世でした。

大塚は、ケンブリッジ飛鳥を見て『こいつは将来必ずオリンピック出るぞ。』と言っていました。

この内容は、今月15日の読売新聞朝刊に載っています。

私は大塚とは同じ中学校の同級生でした。

彼は短距離、私は長距離。

お互い別々の高校に進学し、彼は高校時代400mハードルで東京都№1になりましたが、不運にもかなりの実力がありながら、故障でインターハイには出場できませんでした。

その後、彼は体育の先生になりたいために日本体育大学に進学し、目標通り中学校の体育の先生になりました。

区立中学ですので、中学校の人事異動はありますが、どこの学校に行っても全国級の生徒を作り上げる指導の天才でした。

ケンブリッジ飛鳥君も、将来を見込んで、伸び伸びと育てたのだと思います。

東京都江東区には、江東シーサイドマラソンという大会が毎年11月に行われます。

私は毎年第1回大会から出現していまして、20回出現表彰をいただきました。

私がその大会に出る楽しみはもう一つ、大塚に会えることでした。

彼はマラソンレースのスターターを毎年恒例で勤めていました。

レースの前後、お互い元氣で変わりなく年に一度陸上競技の話しをすることが楽しみでした。

ある時、彼は『俺ももう疲れたから指導者は引退する。』と話していました。

何か変だなと思ったのですが、そのまま来年に。

役員名簿のスターターに彼の名前はありませんでした。

しかし、彼は競技場にいました。

話しをしたいのですが、彼はロレツがまわりません。

不自由な話し方でしたが大塚は『俺、脳梗塞で手術をしたんだ、リハビリは順調だよ。』
私は『良くなって良かったね、生きてて良かった。』

私は淋しさを感じましたが、健康の話しをし、今動けるうちに何でも協力することと、何か困ったことがあった時の連絡先を伝え、その年のマラソン大会は終わりました。

翌年のマラソン大会に、大塚はスターターにもどこにもはいませんでした。

私は大塚のいないマラソン大会を走りましたが、スタートから涙をこらえるだけで精一杯でした。

彼は55歳という早さで天国に行ってしまいました。

天国から『俺の言った通りだろ、ケンブリッジ飛鳥はオリンピックに出たぞ。』って自慢しているでしょう。

人間はそれぞれ寿命はあると思いますが、私にもっと相談してくれればどうにかなったのにと思いました。

今や生活習慣病は珍しくありませんが、生活の習慣の間違えで起こる病氣ですから、生活の習慣を変えることでいくらでも健康状態は良くなっていきます。

いつもと違った毎日の生活になるのですから、面倒くさがらず、三日坊主にならず健康で生きていくことをおススメします。

そのために、私はできるだけのことを理解ある方々に提供していきたいと思います。

氣が付けば健康、振り返れば幸せ。

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