元、食品添加物の会社でトップセールスマン「食品添加物の神様」とも言われていた阿部司先生が、
なぜ、それとは真逆の「無添加の神様」と言われ、食品添加物の現状や食生活の危機を訴え、講演会をやったり、安心な食事の執筆活動をやることになったのか。その経緯を伺ってみました。
『ミートボール事件』後に安部先生がこのように呼んだ出来事は愛する長女の3歳の誕生日に起きました。
娘の大事な日を祝うべく、仕事を早々と切り上げて帰宅した安部先生は、ご馳走が所狭しと並ぶ食卓に
とある料理”を発見します。 その料理とはミートボール。
可愛らしいミッキーマウスの楊枝がささったそれがふと目に入ったので、何気なく口に放り込みました。
その瞬間、安部先生は凍りつきました。 「これって・・・『××食品』のものじゃないか?」
突然青ざめた顔で奥様に尋ねる安部先生。
「ええ、そうよ。このミートボール、安いし、子供たちが好きだからよく買うの。これを出すと子どもたち、取り合いになるのよ」見れば娘も息子たちも、実においしそうにそのミートボールを頰張っています。
「ちょ、ちょ、ちょっと、待て待て!」
安部先生は慌ててミートボールの皿を両手で覆いました。 父親の慌てぶりに家族は皆きょとんとしていました。 なぜ安部先生はこんなに慌てていたのか?
そのミートボールは、スーパーの特売用商品としてあるメーカーから依頼され開発されたものだったのです。
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「この端肉で、何か作れないか?」
端肉とは、牛の骨から削り取る、肉とも言えない部分。 現在はペットフードに使われています。
このままでは味もなく、使い物にならない。 でも「牛肉」であることは間違いないし、何より安い。
そこで、この端肉で何か作れないか? とメーカーから安部先生に相談が来たのです。
元の状態では形はドロドロ、水っぽいし味もなく、とても食べられるものではありません。
しかし、そこは「添加物の神様」
・安い廃鶏(卵を産まなくなった鳥)のミンチ
・「人造肉」とも言われる「組織状大豆たんぱく」
・結着剤、乳化剤、着色料、保存料、pH調整剤、酸化防止剤etc
・化学調味料、着色料、増粘多糖類などで作り上げた「ケチャップ」のような何か
など、20~30種類の添加物や化学調味料を駆使し、本来なら産業廃棄物となるべきクズ肉を「食品」に
(しかも恐ろしいほど原価を抑えて)仕立て上げたのです。
圧倒的な安値、そして添加物による子供好みの味、チンすれば食べられる便利さ。それらが揃ったこのミートボールは驚くほど売れてしまいました。(メーカーはこの商品だけで ビルが建ったと言われたほど)
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「パパ、なんでそのミートボール 食べちゃいけないの?」
ミートボールの製造過程に思いを馳せていた安部先生は、子供たちの無邪気な声にはっと我に返りました。
「とにかくこれは食べたらいかん!」
皿を取り上げ、説明にもならない説明をしながら、胸がつぶれる思いでした。
ドロドロのクズ肉に添加物を大量に投入してつくったミートボール。それを我が子が大喜びで食べていたという現実。「ポリリン酸ナトリウム」「グリセリン脂肪酸エステル」「リン酸カルシウム」「赤色3号」「赤色
102号」「ソルビン酸」「カラメル色素」それらを愛する子どもたちが平気で摂取していたという現実。
そうだ、自分も、自分の家族も消費者だったのだ。
添加物のセールスこそが自分の生涯の仕事と決め、日本一の添加物屋になってみせると意気込んでここまでやってきた。
でも、この道は本当に正しいのか? 自分の「生涯の仕事」は何かおかしいんじゃないか?
そんなふうに考え始めると、それまで聞き流していた様々な人の言葉が脳裏に浮かんできました。
〇ある工場の工場長のAさんは、いつも「俺のところの特売用ハムはだめ。とても食べられたものじゃ
ない」と言っていました。
〇漬物工場の経営者Bさんもよく「うちの漬物は買うなよ」と言っていました。
塩漬けされた輸入品のくろずんだ野菜を使い、それを漂白した挙句、合成着色料で色をつけてごまかして
いるからです。
〇餃子屋のCさんも、豆腐屋のDさんも、同じ。「自分のところでつくっている食品は食べない」
そう言い切る人がどれだけいたことでしょう。
添加物については誰よりも詳しいと自認していた自分が、添加物の最も重要な「安全性」という問題を
まったく無視して今日まで来てしまった。
うわさに聞けば自分の住む街は、ほかの都市と比べてアトピー性皮膚炎の子どもが多いといいます。
その何千分の一かは自分の責任ではないか…そこまで考え、罪悪感にさいなまれました。
子どもには、自分の食べるものを選ぶ権利がありません。親の出したものをそのまま、なんの疑いもなく
口に入れるのです。
気づくのは遅かったかもしれませんが、「目覚めて」しまった以上、もう仕事を続けられませんでした。
トップセールスマンとしてそれなりの高給をもらっていたこともあり、家族の生活を考えると葛藤はあり
ましたが、やはり自分の良心には逆らえませんでした。 翌日、安部先生は会社を辞めました。